| 会津坂下 | |
| ・立木観音堂 | |
大同3年坂上田村麻呂弘法大師の勧めにより、高寺の遺跡に恵隆寺を建て、大師自ら本尊、ならびに脇立阿弥陀如来、薬師如来を刻み本堂に安置した。弘仁天皇の項、及び、三十六坊、近境に三千余りの子院を有し、隆盛を極めた。後専日寺の乗丹坊、意に応じない恵隆寺を襲い、恵隆寺方陣ヶ峯の一戦に破れて坊舎の大部分は焼却され、とり払われた、建久のはじめに今の地に移転され金塔山恵隆寺と改称したが、慶長13年の大地震で倒壊し、元和3年時の会津藩主蒲生公により再建された。堂は五間五面で正面に一間の向拝があり単層で屋根は四柱造茅茸で、軒は雄大なる二重繁垂木で、柱は荘重なる円柱を建て一般の木割雄大で鎌倉時代の特徴を発揮している。 |
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| ・調合寺と薬師如来 | |
板下の市街地の西北にあり、高寺山恵隆寺36坊舎のひとつであり。会津五薬師のひとつでもある。もとの高寺の廃寺から移されたと伝えられている。高さ五尺八寸の薬師座像本像にして漆箔を存し、形相雄健典雅精巧なるもので東北地方にまれに見る平安初頭の優秀な作で、国の重要文化財に指定されている。 |
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| ・心清水八幡宮 | |
祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三霊神を祀り天喜5年源頼義が創建したといわれている、後子義家または補修を加えたが、伊達正宗の兵難にかかって社殿が壊れたままになっていたのを後に保科正之が当社の来歴を問い、殿字を造営し、会津六社のひとつとして一般の崇敬を集めた。ここに保管されている、紙本墨書塔寺八幡宮長帆4巻は国の重要文化財に指定されている。 |
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| ・千咲原 | |
往昔恵隆寺の花園である。喜和年中平氏の隆盛なる項、越後の城の四郎長茂、恵日時の僧と共に高寺を亡くし多くの寺領を没収したが、この花園も領有とし、数千茎を増植した。後に慶長7年4月10日、蒲生秀行公このところに来観が会った。 |
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| ・春日八郎記念公園、おもいで館 | |
板下町出身の歌手、春日八郎の軌跡と思い出の品を展示している。また、公園内に一本杉があり、近づくと曲が流れるようになっている。 |
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